


この記事では、『古事記』よりも古い書物について
解説しています。
・『古事記』より古い、現存する書物
・帝紀・旧辞・天皇記・国記の違い
・ホツマツタエの内容
古事記より古い書物は存在する?
『古事記』は、和銅5年(西暦712年)に
太安万侶が編纂し、
元明天皇に献上された歴史書ですが、
原本は現存しておらず、南北朝時代の写本のみが伝わっています。






ここでは、
『古事記』が編纂された712年(8世紀)
よりも前に作られて、なおかつ現存している書物を紹介します。
古事記より古い書物
『法華義疏』は、
7世紀前半(伝 推古天皇23年(西暦615年)
に成立しており、
『古事記』成立より約100年も古い書物です。








ウィキメディアコモンズより引用
『勝鬘経義疏』と『維摩経義疏』に関しては
後代に写されたもの(写本)ですが、
『法華義疏』は、当時(7世紀前半)
に書かれた日本最古の肉筆が現存しています。
聖徳太子の自筆である可能性も指摘されています。






古事記より古い歴史書



『古事記』よりも古い歴史書としては、
『帝紀』『旧辞』『天皇記』『国記』
という書名が伝わっています。
これらは書名のみが現代に伝わっており、
原本はおろか、写本さえ現存していません。



その他にも、
『竹内文書』『宮下文書』など
古史古伝と呼ばれる文書群があり、
『古事記』よりも古い歴史書であるとされていますが、
学術的には偽書であると言われています。
古史古伝の中でも、『ホツマツタエ』
という神代文字で書かれた歴史書が
近年、注目されています。
※写本(江戸時代のもの)が現存しています。
記紀編纂の資料となったと
主張する研究者もいますが、
一般的には『ホツマツタエ』も
江戸時代に創作された偽書であるとされています。
帝紀・旧辞・天皇記・国記の違い



これらの歴史書はすべて現存しておらず、
内容は不明ですが、以下のように推測されています。
帝紀・旧辞の内容
『帝紀』:
歴代天皇の御名、皇居の名称、
后、皇子、皇女の情報、
御年、御陵などを記した、
系譜を中心とする記録であると
考えられています。
「帝皇の日継」「先紀」とも称されます。
『旧辞』:
神話・伝説・歌謡物語など、
伝承された物語の記録であると
考えられています。
「本辞」とも称されます。
津田左右吉氏は、
五世紀以後に皇室によって
全国の諸氏族が統一された後、
六世紀になって、
欽明朝前後に神代史が形成され、
同じ頃に『帝紀』・『旧辞』の原本が
成立したと推測しています。



『古事記』の序によると、
この『帝紀』・『旧辞』は
「邦家の経緯、王化の鴻基」
(天皇政治の基本)
であるとしながらも、
事実とは異なったり、虚偽を加えたり
したものが甚だ多いと記されており、
それを正すために『古事記』が編纂されたと語られています。
天皇記・国記の内容
『天皇記』・『国記』は、
推古天皇28年(西暦620年)に
聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書です。
『天皇記』:
『帝紀』と同じような内容で、
天皇の系譜を記した書物であると推定されています。
『国記』:
『旧辞』のような内容で、
神代以来の伝承や物語を記したものと
推定されますが、
地理書的なものであるとする説もあります。
『天皇記』・『国記』は
西暦645年の「乙巳の変」で
蘇我氏滅亡の際に焼失しました。



『帝紀』『天皇記』
『旧辞』『国記』
それぞれの内容がどのように異なるかは、
原本はおろか写本、逸文さえも現存していないので、
残念ながらその内容を知ることはできません。
ホツマツタエはいつ書かれたとされているのか?



ホツマツタエの序文から導き出される成立年代
『ホツマツタエ』の成立は、序文に見える
「景行天皇五十三歳」という「註」により、
四世紀頃と推測されています。
(倭の五王が五世紀の人物だったことから
四世紀と推測できる)
ただし、『ホツマツタエ』の内容には、
平安時代のものと思われる習俗や表現が散見されます。
さらに、神代文字(ホツマ文字)自体が、
上代特殊仮名遣いを反映していない上に、
古墳などに神代文字が一例も
発見されていないなど存在が疑われます。
そのため、『ホツマツタエ』は一般的には偽書とされています。
ホツマツタエの内容を簡単に
『ホツマツタエ』とは、
世界の創世からヤマトタケル伝説までを
ホツマ文字やヲシテ文字と呼ばれる
神代文字で書いた一大叙事詩です。
その長さは、五七調で一万行に及んでいます。
『古事記』よりも『日本書紀』に近い内容で、
『日本書紀』の元資料となったと言われています。
『日本書紀』よりも豊富な内容で、
バラエティに富み、それだけでなく、
より古態と思われる表現も含んでいます。
ホツマツタエ肯定派の主張
『ホツマツタエ』は、
学術的には否定されていますが、
肯定派もある程度筋の通った主張をしています。
例えば、松本善之助氏は、
ホツマ文字が上代特殊仮名遣い(87音)を
反映していないという批判に対しては、
奈良時代に87音あったからといって、
それ以前にもそれと同数の音がなければならない
という考え方を否定しています。
なぜなら、奈良時代の音韻の区別が
87音あったという説は、
奈良時代の文献に使われた漢字の分析から
割り出した結論に過ぎないからです。
実際に平安時代になると上代特殊仮名遣いは
すっかり消滅してしまっている状況は、
急激すぎるようにも感じられます。
上代特殊仮名遣いの甲類と乙類の区別は、
当時、『古事記』『日本書紀』
『万葉集』の編纂に関わった百済人の
音韻の特徴なのではないかという説もあるのです。



佐治芳彦氏は、
『ホツマツタエ』の内容に見られる
平安時代のものと思われる表現については、
幾度となく行われた書写の過程で
紛れ込んだものであり、
『ホツマツタエ』の全体像やその精神が重要であると述べています。
さらに佐治氏は、
ホツマ文字は『日本書紀』成立以降の成立であり、
漢字に対する暗号と考えています。
ホツマ文字の成立が記紀成立以降であっても、
その伝承そのものが記紀より後
ということにはならないという主張です。
『ホツマツタエ』は、
記紀とは異なる内容を豊富に含んでいるので、
正史としての記紀成立後は禁書となり、
世に出すことを禁じられたため、
暗号化して後世に伝える必要があった、と主張しています。








