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・木花咲耶姫は、なんの神様か
・木花咲耶姫の性格
・木花咲耶姫の最期と死因
・木花咲耶姫は短命だったか
・木花咲耶姫と富士山の関係
木花咲耶姫とかぐや姫との意外な関連性にも
言及しています。
ぜひ最後までお読みください。
木花咲耶姫は、なんの神様?



コノハナサクヤヒメは、
日本神話に登場する女神です。
木の花が咲き匂うという意味の名前です。



天照大御神の孫であり
天皇家の祖先である瓊瓊杵尊と結ばれ、
海幸彦・山幸彦を出産しています。
つまり、山幸彦を出産した
コノハナサクヤヒメは、現在の皇室の祖先
ということになります。
コノハナサクヤヒメは、
火中で出産した神話から、
安産・子宝の神として信仰されています。
その他にも、縁結び、美の増進、火難除け
農業、漁業、織物業、酒造業、
海上安全・航海安全などのご利益があるとして
人気の高い女神様です。
全国の浅間神社を中心として祀られています。


Wikiメディアコモンズより引用
木花咲耶姫の本名と正体
実は、コノハナサクヤヒメには、本名が存在します。
『古事記』では、本名が神阿多都比売、
別名が木花之佐久夜毘売となっています。
『日本書紀』では、本名が鹿葦津姫、
別名が神吾田津姫、木花開耶姫となっています。
一書(第二)では、本名が神吾田鹿葦津姫、
別名が木花開耶姫。
一書(第五)では、本名の吾田鹿葦津姫のみが
記載されています。
一書(第六)では、本名が木花開耶姫、
別名が豊吾田津姫です。
| 本名 | 別名 | |
|---|---|---|
| 古事記 | 神阿多都比売 | 木花之佐久夜毘売 |
| 日本書紀 本文 | 鹿葦津姫 | 神吾田津姫、木花開耶姫 |
| 日本書紀 一書(第二) | 神吾田鹿葦津姫 | 木花開耶姫 |
| 日本書紀 一書(第三) | 神吾田鹿葦津姫 | |
| 日本書紀 一書(第五) | 吾田鹿葦津姫 | |
| 日本書紀 一書(第六) | 木花開耶姫 | 豊吾田津姫 |
| 日本書紀 一書(第七) | 吾田津姫 | |
| 日本書紀 一書(第八) | 木花開耶姫 |



アタツヒメの「アタ」とは、
「阿多」であり薩摩国阿多郡阿多郷
(現在の鹿児島県南さつま市のあたり)
を指す地名です。
阿多は、古代において隼人の本拠地でした。
カシツヒメの「鹿葦」も薩摩の地名だと言われています。
隼人は、古代日本において
鹿児島県に居住していた人々を指す総称。
独自文化を持ち、
当初は大和朝廷に抵抗したが、
最終的には服属した。
つまり、
カムアタツヒメとかカシツヒメというのは、
隼人族の女神を意味しています。
皇孫ニニギノミコトが隼人の女神と結婚した
ということになります。



コノハナサクヤヒメの本名をカムアタツヒメ等と
しているのは、隼人の女神・カムアタツヒメ
にコノハナサクヤヒメの説話を結び付ける意図があります。
コノハナサクヤヒメとカムアタツヒメとは
もともとは別の神様ですが、
天孫降臨の物語で二つの神様が結合しているのです。
なぜそのような結合が必要だったかというと、
隼人は大和朝廷に服属後も、しばしば反乱を
起こしていたため、
大和朝廷にとっての隼人政策が重要視
されていたからです。
コノハナサクヤヒメとカムアタツヒメを
同一視することによって、
天孫が隼人の女神を妻にしたという
物語を創り上げ、
朝廷と隼人との緊密な関係が語られているのです。
さらに、
コノハナサクヤヒメが出産した子のうち
海幸彦(ホデリノミコト)は
隼人族の祖先であると言い伝えられています。
兄・海幸彦が、皇室祖先である弟・山幸彦に
服従する神話からも、
大和朝廷の隼人政策の意図がうかがえます。



ニニギノミコトと阿多の隼人族の女性との
婚姻を通して、王権がその一族を
服属させたことを意味しています。
要するに、天孫降臨神話および
海幸彦・山幸彦の神話には、
大和王権による隼人の服属の歴史が
潜んでおり、
コノハナサクヤヒメの正体は、
隼人の女神であると言うことができます。
木花咲耶姫の性格



『古事記』『日本書紀』の物語から、
コノハナサクヤヒメの
信念深く、ひたむきな性格を
読み取ることができます。
コノハナサクヤヒメは、
天孫ニニギノミコトと
一夜の交わりの結果、妊娠をします。
しかし、ニニギノミコトは
たった一夜で妊娠するはずがないと言い、
自分の子ではないのではと疑います。
コノハナサクヤヒメは、
自分のお腹の中の子が
ニニギノミコトの子であれば、
火の中でも無事に生まれるであろうと
誓約をして、産屋に火をつけて
火中出産を行います。
誓約とは、あらかじめ決めた通りの結果が
出るかどうかで吉兆や正邪を判断する
古代の占いのことです。
その結果、
三柱の男神が無事に誕生し、
コノハナサクヤヒメの身の潔白が
証明されたのでした。
『日本書紀』では、
身の潔白が証明された後も、
コノハナサクヤヒメは自分を疑った
ニニギノミコトを恨んで
口をきこうとしなかったと語られています。



コノハナサクヤヒメは
容貌が美しく、
儚げな印象を持つ女神だが、
信念深く、気が強い性格である。


木花咲耶姫 最期の場面と死因



コノハナサクヤヒメは、
『古事記』でも『日本書紀』でも
亡くなるシーンは書かれていません。
したがって死因も書かれていません。
産屋に自ら火をつけて
火中出産をしたので、
火傷で命を落としたと勘違いしている人も
いるかも知れませんが、
コノハナサクヤヒメは、
無事に出産を終え、
身の潔白を証明しているのです。
『古事記』には、火中出産における
コノハナサクヤビメの安否は書いていませんが、
『日本書紀』の一書(第三)には、
「凡此三子、火不能害、及母亦無所少損。」
とあり、母子ともに無事であったと
書かれています。
一書(第四)にも同じような記述が見られます。
木花咲耶姫は短命だったか



コノハナサクヤヒメ自身が
亡くなるシーンは、
日本神話の中には書かれていません。
しかし、コノハナサクヤヒメは
短命を意味する
神様として知られています。
日本神話の中でニニギノミコトは最初、
コノハナサクヤヒメと
姉のイワナガヒメを2人セットで
妻にしようとしました。
しかし、イワナガヒメが醜かったので、
コノハナサクヤヒメのみと契りを交わし、
イワナガヒメを親元に返してしまいました。
コノハナサクヤヒメのみを
妻としたことにより
天皇の寿命は、木の花が散るように
短いものになってしまったと語られています。
仮にニニギノミコトが
イワナガヒメも一緒に妻にしていれば、
天皇の寿命は岩のように永遠に続くように
なっていたのです。
『日本書紀』の一書(第二)では、
ニニギノミコトに拒否されたイワナガヒメが
恥じて呪いの言葉を吐き、
この世に生きている人民は、木の花のように
衰えるだろうと言ったと書かれています。
ニニギノミコト・コノハナサクヤヒメの
神話は、人間の命が短命であることの
起源説話にもなっているのです。
コノハナサクヤビメは木の花が咲くように
繁栄をもたらす神様でもありますが、
同時に短命を意味する神様でもあるのです。



木花咲耶姫と富士山の関連
全国にある浅間神社は、
コノハナサクヤヒメを祭神として祀っています。


Wikiメディアコモンズより引用
浅間神社は、奈良時代末期から高まった
富士山信仰とともに全国に広まり、
全国に約1300社あります。
その総本宮は静岡県富士宮市にある浅間大社です。
奈良時代末期から
富士山の火山活動が活発化すると、
噴火を鎮めるための信仰として、
富士山信仰が高まりました。
いつからコノハナサクヤビメが
浅間神社の祭神とされているかは
はっきり分かっていませんが、
江戸時代に入ってからと言われています。
もともとは、浅間大神という神様が
祀られていました。
かぐや姫とコノハナサクヤビメ
実は中世から江戸時代初期にかけて
富士山の祭神は、かぐや姫でした。
もともと、平安時代には富士山では
浅間大神が祀られていましたが、
やがて本地垂迹の影響で大日如来もあわせて
祀られているようになります。
神道の神々は、仏が化身として日本の地に
現れた仮の姿だとする考え方。
さらに、鎌倉時代には、
かぐや姫が祭神として祀られるようになりました。



現在の富士宮市周辺では、
通常の『竹取物語』とは異なる
研究者から「比奈赫夜姫」と呼ばれる
伝説が語られているのです。
「比奈赫夜姫」伝説
竹から生まれた赫夜姫が
国司の妻となり、
数年たった後に富士山に帰りたい
といって去ってしまいます。
国司が富士山に追っていくと、
そこには池があり、
宮殿が建っていて、
赫夜姫は天女となり
人間ではなくなっていました。
国司は悲しみのあまり
池に身を投げて死亡。
赫夜姫は数年後に天上から迎えがきて
昇天します。
「比奈赫夜姫」の伝説が元となり、
戦国時代後期には、
富士山の祭神はかぐや姫として
すっかり定着していました。
ところが、江戸時代に入ってから
コノハナサクヤヒメが
かぐや姫と同一視され、
祭神に置き換わったのです。



かぐや姫の「かぐ」とは、
本来、神聖な火(火山)で焼かれた香木を
意味する言葉だったと考えられています。
かぐや姫は、人々から
火山のイメージを持たれていたということです。
コノハナサクヤヒメも、
火中出産をしていることから、
火山のイメージとが重なり合います。
火山のイメージという共通点により
富士山の女神・かぐや姫は、
コノハナサクヤビメに置き換っていったと
考えられています。





