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黄泉の国では「振り返るな」イザナミの見るなのタブーについて詳しく解説

黄泉の国では「振り返るな」イザナミの見るなのタブーについて解説

学生
日本神話で黄泉の国に行ったイザナミは、イナザキに対して「振り返るな」って言ったんだよね?


筆者
正確にはイザナミはイザナキに対して「見てはいけない」と言いました。「見るなの禁止」「見るなのタブー」というふうに言われています。


学生
見るなのタブーには、どういう意味があったの?


この記事では、黄泉の国におけるイザナミの
「見てはいけない」という言葉について
類似の民話を参考にしながら深く考えていきます。

この記事でわかること

・黄泉国「見てはいけない」のストーリー
・類似の「見るなのタブー」の説話紹介
・なぜ「見るなのタブー」が語られているのか

この記事を読むことで
イザナミがなぜ「見てはいけない」
という言葉を発したかがよくわかります。

ぜひ最後までお読みください😊

目次

黄泉の国「振り返るな」のストーリー

まず、『古事記』に見られる
黄泉の国の「見てはいけない」のお話について
おさらいしていきましょう。

学生
どんなお話だったっけ?

イザナミの黄泉国訪問神話

イザナキとイザナミは夫婦の神でした。

筆者
イザナキが男神・イザナミが女神です。

天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯、明治時代)
左がイザナミ、右がイザナキ。
天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯、明治時代)
左がイザナミ、右がイザナキ。
Wikiメディアコモンズより引用

2人で日本の国土および多くの神を生みましたが、
最後に生んだ火の神(ヒノカグツチ)により
イザナミは陰部が焼けて病の床にふせり、
ついに亡くなってしまいました。


イザナキは、
死んだイザナミに会いたいと思い、
黄泉国まで追いかけていきます。

イザナキは、
「2人で作った国はまだ完成していないから、
帰ってきなさい」

とイザナミに語り掛けます。

イザナミは、
「愛しいあなたがそう言うなら、
私は帰りたいと思います。
黄泉国の神と相談してみましょう。
その間、私の姿を見てはいけません

とイザナミに言います。

筆者
ここの部分が、「見るなのタブー」です!


しかし、イザナキは待ちきれなくなって、
御殿の中に入ってイザナミの姿を見てしまいます。
イザナミの体にはうじがたかり、雷神が生じて
醜い姿になっていました。


驚いたイザナキは黄泉国から逃げ帰りますが、
イザナミは「よくも恥をかかせたな」といって
黄泉国の醜女をつかって追いかけさせます。

イザナミの追跡を必死に逃れたイザナキは、
現世と黄泉国の境をなす黄泉比良坂よもつひらさか
千引ちびきのいわで塞ぎ、現世に帰還します。
イザナキとイザナミは、千引きの石を間に
離別の言葉を言い放つのでした。

この後、イザナミは人間を1日に
1000人死なせることを宣言し、
イザナキは1日に1500人の産屋を
建てることを宣言します。
イザナキの黄泉国訪問の神話は、
人間の生と死の起源を語るものとなっています。

「見るなのタブー」を犯したイザナキ

上記で紹介したイザナキとイザナミの神話は、
「見るなのタブー」を犯した物語です。

「見るなのタブー」というのは、
「見てはいけない」といわれたものを
「見てしまう」話型のことです。
「見るなの禁止」「禁室型説話」とも言います。

神話や民話に見られる要素ですが、
日本のみならず世界中の神話に
「見るなのタブー」は出現しています。

その他の「見るなのタブー」

日本の民話・神話には「見るなのタブー」の
要素をそなえた物語が多く見られます。
ここでは、イザナキ・イザナミの神話以外の
「見るなのタブー」のお話を紹介していきます。

出産場面での「見るなのタブー」

出産の場面について「見てはいけない」
という禁止を出す話型は、

  • 豊玉姫とよたまびめ伝説
  • 蛇女房

で見られます。

豊玉姫伝説

豊玉姫伝説は『古事記』『日本書紀』
で語られているものです。

筆者
あらすじを紹介します。


山幸彦は海の世界で、
海神の娘・豊玉姫と結婚します。
豊玉姫は山幸彦の子を妊娠しました。

山幸彦はホヲリノ命(火遠理命)。
神武天皇(初代天皇)の祖父に
あたる人物です。

青木繁「わだつみのいろこの宮」1907年
Wikiメディアコモンズより引用
赤い衣を着ているのが豊玉姫。
桂樹に座っているのが山幸彦。

ホヲリノ命は地上に戻り、豊玉姫も
出産をするために地上にあがりました。
産気づいた豊玉姫は産屋に入って、
ホヲリノ命に言いました。

「異郷の者は出産のときになると
本来の姿になって産みます。
私も本体の体になって出産をしましょう。
お願いですから、私の姿を見ないでください


学生
「見るなのタブー」だね。


ホヲリノ命はその言葉にそむいて、
お産が始まるところを覗いて見てしまいました。
すると、豊玉姫は大鰐の姿になって、
這いまわっていました。

豊玉姫の本当の姿は、大鰐だった。

ホヲリノ命は驚いて逃げ出します。
豊玉姫は恥ずかしく思い、
産んだ御子を置いて海に帰っていきました。

蛇女房

ある男が苦しんでいる大蛇を助けました。
その大蛇は女に変身し、男の家を訪れ
2人は結婚します。

女は妊娠しますが、男に向かって
「出産するところを見ないでください」
と言いいます。

ところが、男は覗いて見てしまい、
女が大蛇であることを知ってしまいます。

女は出産時、本来の蛇の姿になっていた。

女は、産んだ子どものために
自分の片方の目玉を与えて家を出て行きました。
その目玉をしゃぶると子は大人しくなりました。

ある日、目玉が人に奪われてしまい、
子が泣き止みません。
男は妻であった大蛇に、
もう片方の目玉を要求します。
大蛇は我が子のためにもう片方の目玉を渡し、
盲目となります。

大蛇は男にお寺の釣鐘を
毎日つくように依頼します。
それから男は朝夕、鐘をつき、
大蛇はその音で時刻を知ることができました。

排泄場面における「見るなのタブー」

女性が排泄しているところを
見られることを禁じる話型としては、

  • はまぐり女房

があげられます。

※鮭女房という民話でも
よく似たストーリーが語られています。

蛤女房

漁師の男がある日、大きな蛤をとりますが、
この大きさまで育つのは大変だろうと
その蛤を海に逃がしてやりました。
しばらくして、男のもとに美しい女が現れます。
男はその女と結婚します。

女の作る吸物のはとても美味しいが、女は
「料理をしているところを決して見てはいけない」
と言います。

不思議に思った男はある日、
料理をしているところを覗いてみました。
すると、女は吸物の鍋に小便をしていました。
男は怒って女を家から追い出します。
女は実は蛤であり、元の姿に戻って海に返っていきました。

学生
イザナキ・イザナミの神話と同じ「見るなのタブー」の要素をそなえた民話がいろいろあるんだね。


これらの「見るなのタブー」型の物語には
いったいどのような意味があるのでしょうか?

次の項で考察していきます!

イザナミの「見るなのタブー」本質の考察

イザナミがなぜ
「見てはいけない」と言ったのか考察する前に、
これまで見てきた異類婚姻説話における
「見るなのタブー」の本質について考えてみましょう。

異類婚姻説話の本質

これまで紹介してきた「見るなのタブー」の
お話のうち、

  • 豊玉姫伝説
  • 蛇女房
  • 蛤女房

これらは、いずれも
人間の男とわにや魚などの結婚を語る
異類婚姻説話いるいこんいんせつわの形をとっています。

異類婚姻説話では、
女性の動物的な行為(出産や排泄)
に関することを
秘密として「見てはいけない」としています。


筆者
なぜ、女性の出産や排泄が「見るなのタブー」になっているのでしょうか?


これらの説話では、女からの一方的な
惚れ込みから物語が始まっています。
鰐や蛇、蛤が人間の女性の姿に変化して
仲睦まじい夫婦という
美しい幻想的な世界を創り上げるのです。

動物的な行為を「見てはいけない」
と言うことは
築き上げた幻想世界を維持するために
必要なことだったのです。

学生
夫婦の関係を維持するためには、「見るなのタブー」が必要だったんだね。


動物的な行為を見られてしまうと
男に幻滅されてしまいます。
そして、2人の別離という結末に至ります。

民話研究者・小沢俊夫氏の言葉を借りていうと

見ることが互いの本質の越えがたい相違を
明らかにしてしまうからこそ、それを防ぐためにいわれたタブーだった

つまり、
(人間と動物の設定を借りてはいますが、)
男と女の違いの本質的な相違を
明らかにすることを禁止しているのが
異類婚姻説話の「見るなのタブー」であるということです。

学生
それじゃあ、イザナミの言った「見るなのタブー」にはどういう意味があったの?

イザナミの「見るなのタブー」の本質

イナザキ・イザナミの神話を思い出してみましょう。

イザナキは、イザナミの体にうじがたかって
腐乱しているのを見てしまいましたね。
それは、イザナミが既に亡くなってしまっていて
肉体が朽ちてしまっていたことを表しています。


異類婚姻説話では、出産・排泄など
動物的な行為を「見てはいけない」と
していましたが、イザナミの場合は、
腐乱した体を「見てはいけない」
としたというわけです。

死んだイザナミは、蘇生を望んでいたから
生きているイザナキに
見るなのタブーを課すことで
生と死の相違を明確に
してしまわないように望んだのです。

ところが、
イザナキは「見るなのタブー」を犯して
腐乱したイザナミの身体を見ることで、
生と死の違いの本質的な相違を明らかにしてしまったのです。

「見るなのタブー」を犯したイザナキは、
現世に戻ってから
黄泉国のイザナミに別離の言葉を放ちます。

イザナミは
「現世の人間を1日に1000人死なせましょう」
イザナキは
「1日に1500人の産屋を建てよう」

と言います。

この部分は、人間の生と死の起源が語られています。

「見るなのタブー」を犯すことには
本質的な違いを明らかにするという
意味があり、
イザナミの「見るなのタブー」を
イザナキが犯すことで
生と死の本質的な違いが明確になりました。

生きているイザナキと
死んでしまったイザナミ
この2人を引き裂き、別離させ、
人間の生と死の起源を語るために
「見るなのタブー」の物語が語られているのです。

この記事では、イザナミの課した「見るなのタブー」について詳しく説明しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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