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古事記と日本書紀の違いをわかりやすく解説!ヤマトタケルとスサノオ神話の内容の相違を紹介。

古事記・日本書紀の違いをわかりやすく解説!ヤマトタケルやスサノオ神話の内容の相違も紹介。

学生
『古事記』と『日本書紀』ってどういう違いがあるの?


この記事では、『古事記』と『日本書紀』の
違いをわかりやすく解説します。

この記事でわかること

『古事記』と『日本書紀』の違い

・表記上の違い
・神々の称号の違い
・内容の違い

ヤマトタケル神話とスサノオ神話の
『古事記』と『日本書紀』間の違いも
詳しく紹介しました。

筆者
ぜひ最後までお読みください。

目次

古事記と日本書紀の違いをわかりやすく解説

『古事記』と『日本書紀』の違いを、

  • 表記上の違い
  • 神々の称号の違い
  • 内容の違い

の3つ分けて解説していきます。

表記上の違い

『古事記』と『日本書紀』には、
表記上、以下のような違いが見られます。

スクロールできます
文体書式成立年
古事記紀伝体変体漢文712年
日本書紀編年体純漢文720年

『古事記』は紀伝体・変体漢文で書かれています。

紀伝体:天皇を中心として歴史を時系列に
述べて行く形式。伝記の集合体のようなイメージ。

変体漢文:漢文と万葉仮名を混在させたもの

『日本書紀』は編年体・純漢文で書かれています。

編年体:時間軸を中心として
出来事を年代順に記述していく形式。

純漢文:古代中国の文法で書かれた漢文。

学生
同時期に書かれた歴史書なのに、『古事記』と『日本書紀』はずいぶんと表記の違いがあるんだね。

このような違いがある理由は、
以下の記事で詳しく説明しました。

神様の称号の違い

『古事記』と『日本書紀』は、
神々の称号に違いが見られます。

『日本書紀』は、出雲系の神に対しては
「神」と呼んでいるのに対し、
大和系の神に対しては「みこと」もしくは「みこと」と読んでいます。

ところが『古事記』では、
例外はありますが一般的に神のことを「神」と称しています。

要するに、『日本書紀』では
大和系の神と出雲系の神を
呼び分けているのに対し、
『古事記』ではその区別がないのです。

「六国史」を見て行くと、
『日本後紀』以降になると、「尊」「命」よりも一般的に
「神」と称されるようになっていきます。

つまり、『古事記』の神の呼称は
平安初期の記述に近いということになります。


筆者
神の呼称の問題から、もしかしたら、『古事記』よりも『日本書紀』の内容のほうが
古いのではないか?と言う研究者もいます。

内容の違い

『古事記』と『日本書紀』は
表記や神の称号が違うだけでなく
書かれた物語の内容にも様々な違いがあります。

学生
どんな内容の違いがあるの?


以下、内容の違いについて少し詳しく
解説をします。

『日本書紀』には異伝があるが『古事記』にはない

『日本書紀』は、
「一書に曰く」という形で、多くの異伝を
正伝とともに並べています。


そのため、雑然としていて流れをつかみづらいです。

例えば、神代紀2巻の全体は
11の段落に分けられますが、
それぞれの段落ごとに1本から11本の異伝
を並べて書いています。

それに比べて『古事記』は、
異伝の記載がなく
流れをつかみやすい歴史書となっています。

神名が少ない『日本書紀』、神名の多い『古事記』

『日本書紀』は、異伝をすべて読んでいると
雑然とした印象を受けますが、
正伝のみをつないで読んでみると、
非常にわかりやすい展開をもっています

国常立尊くにのとこたちのみことから伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことにいたる
神代七世かみよななよの叙述は単純で、
それに続く伊弉諾尊・伊弉冉尊の
神生みの叙述も、『古事記』のように多くの
神名をいちいち列挙することはありません。

以下は、天地開闢てんちかいびゃく後に生まれた神々を、
『古事記』と『日本書紀』で比較したものです。

高天原に生まれた神国が未熟な時に生まれた神
日本書紀(正伝)国常立尊くにのとこたちのみこと
国狭槌尊くにのさつちのみこと
豊斟渟尊とよくむぬのみこと
日本書紀(異伝第一)国常立尊
国狭槌尊
豊国主尊とよくにぬしのみこと
日本書紀(異伝第二)可美葦牙彦舅尊うましあしかびひこじのみこと国常立尊
国狭槌尊
日本書紀(異伝第三)可美葦牙彦舅尊国底立尊くにのそこたちのみこと
日本書紀(異伝第四)天御中主尊あめのみなかぬしのみこと
高皇産霊尊たかみむすひのみこと
神皇産霊尊かむみむすひのみこと
国常立尊
国狭槌尊
日本書紀(異伝第五)国常立尊
日本書紀(異伝第六)天常立尊あまのとこたちのみこと
可美葦牙彦舅尊
国常立尊
古事記天之御中主神あめのみなかぬしのかみ
高御産巣日神たかみむすひのかみ
神産巣日神かみむすひのかみ
宇摩志阿斯訶備比古遅神うましあしかびひこじのかみ
天之常立神あめのとこたちのかみ
国之常立神くにのとこたちのかみ
豊雲野神とよくもののかみ

『日本書紀』の正伝は
神様の数が少ない
ことがわかりますね。

『古事記』には、
『日本書紀』の正伝と異伝に登場する神様を
総合した形で多くの神様が登場していることがわかります。


『日本書紀』正伝は、
物語の寄り道や煩雑な叙述を嫌います。
その当時に存在した文献のうち、
国という立場から最も合理的なものを選んで、
正伝として叙述しているのでしょう。

それに対して『古事記』は、
当時の文献のうち全てを採用して叙述しています。

ストーリーの違い

黄泉の国訪問神話の有無

『古事記』では伊邪那岐命いざなきのみことが、
妻の伊邪那美命いざなみのみことを追って黄泉の国を訪問する
エピソードが語られており、
さらに続いて伊邪那岐命の禊の際に
天照大御神あまてらすおおみかみ月読命つくよみのみこと建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと
生まれています。

ところが『日本書紀』の正伝では
大日孁貴おおひるめのむち天照大神あまてらすおおかみ)をはじめとした3柱は
伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことの交わりによって生まれますし、
伊弉諾の黄泉の国訪問と禊のエピソードは
あくまで異伝の一つであることも注目されます。

ここでも『日本書紀』編纂者の
合理的で煩雑な叙述を嫌う傾向がうかがえます。

出雲神話の有無

また、大きな違いとして『日本書紀』には
『古事記』で語られている大国主神おおくにぬしのかみの神話が存在しません。

『古事記』では、
出雲に降りた須佐之男命が櫛名田比売くしなだひめ
と結婚するところから始まる出雲の神々の系譜と
その子孫である大国主神をめぐる一連の出雲神話が
古事記神話のおよそ四分の一を占めています。

ところが『日本書紀』は、
出雲神話がなくても国家の歴史を叙述する上で
支障はないととらえ、
一連の出雲神話をカットしてしまっています。


『日本書紀』は、

天照大神あまてらすおおかみ天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと瓊瓊杵尊ににぎのみこと彦火火出見尊ひこほほでみのみこと神日本磐余彦かんやまといわれびこ(神武天皇)

と続く天皇家の祖先神の系譜とエピソードを、
直線的に書き継いでいくことに焦点をあてており、
横道にそれることを嫌うという歴史認識を持っています。

それに対して『古事記』は、
語られる伝承としての説話群を
積み重ねていくイメージで成立しており、
黄泉の国訪問や出雲神話など横道にそれるエピソードも厭わないのです。

学生
『古事記』は横道にそれる内容が多くて、『日本書紀』の正伝は横道にそれない内容になっているんだね。

古事記と日本書紀どちらが正しいの?

学生
『古事記』と『日本書紀』がどちらの内容が正しいの?


『古事記』と『日本書紀』がどちらが正しいか?
要するに
どちらがより古く、古代の人々が語っていたままの
伝承を含んでいるか
という点については、
さまざまに論ぜられています。

『日本書紀』の方が古い伝承を伝えている説

『古事記』の万葉仮名の用法が
平安時代に編纂された『延喜式』の
「祝詞」に近いという理由や、
神々の称号が平安時代に近いなどの理由で、
『古事記』は平安時代に作られた
偽書なのではないか?という説があります。


『古事記』偽書説の立場にたてば、
『日本書紀』のほうがより古い文献であるということになります。

学生
じゃあ、『日本書紀』のほうが正しいんだね?

筆者
いいえ、『古事記』偽書説の根拠は、説得力を持つものはありません。

『古事記』の方が古い伝承を伝えている説

『古事記』本文が7世紀半ばから後半には
書かれていたと考えられる根拠があります。
それは、上代特殊仮名遣い「も」の書き分けです。

学生
上代特殊仮名遣いって何だっけ?

上代特殊仮名遣いとは

『古事記』、『万葉集』、『日本書紀』など
8世紀の文献に出現する万葉仮名のうち
「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・よ・ろ」
の十二音については、それぞれ二種類の発音が区別されています。
(二種類の仮名は、甲類・乙類と呼ばれている)
この書き分けのことを、上代特殊仮名遣いといいます。

『古事記』においては、上記の十二音に加えて
「も」も二種類の発音が区別されています。

※『万葉集』にも「も」の区別が見られます。

発音の区別が実際に存在したから、
文字が書き分けられたのであるから、
『古事記』本文が書かれた時代には
まだ十三音の発音が区別されていたということになります。


十三音の発音が区別されていた時代というと、
『古事記』本文は7世紀頃に成立したと推測することができます。

『日本書紀』よりも『古事記』のほうがより古く、
上代に語られていた伝承に近い内容を
含んでいる可能性があるということです。

【記紀】ヤマトタケル神話の違い

ヤマトタケルの神話は、
『古事記』と『日本書紀』で
大きくストーリーが異なります。

違いを簡単に表にまとめると
以下のようになります。

スクロールできます
古事記日本書紀
ヤマトタケルが討伐に行く背景父・景行天皇がヤマトタケルの狂暴な性格を恐れて命じる熊曾健くまそたけるおよび蝦夷えみしが背くので父景行天皇がヤマトタケルに討伐を命じる
ヤマトタケルの父(景行天皇)への感情父から愛されていないことを嘆く書かれていない
父(景行天皇)のヤマトタケルへの感情恐れ優れた皇子であると評価し愛している
ヤマトタケル亡くなる直前の景行天皇への奏上なしあり
墓を作らせる人物ヤマトタケルの后や御子たち景行天皇

『古事記』のヤマトタケル神話

景行天皇は、兄比売えひめ弟比売おとひめという
姉妹が美しいと聞き、
皇子の大碓命おおうすのみことを遣わして宮中に召そうとしましたが、
大碓命がその姉妹を気に入って、すぐに結婚してしまいました。
大碓命は天皇に別の娘を偽って差し出します。
天皇はその娘が別人と知って、悩んでいました。

大碓命は朝夕の食事にも出てこなくなります。
天皇は、小碓命おうすのみこと
「兄の大碓命を優しく教えさとしなさい」
と命じます。
すると、小碓命は兄の大碓命の命を奪ってしまいます。

天皇は、小碓命の荒々しい性格を恐れて、
九州南部に住む熊曾健くまそたける
(朝廷に服従しない異種族の族長)
を討伐するように命じ、小碓命を大和の都から追放します。

小碓命は少女の姿をして
熊曾健の新室完成祝いの祝宴にもぐりこみ、
兄弟の熊曾健の討伐を成功させます。

小碓命は熊曾健から「倭健御子やまとたけるのみこ」という名をもらい、
それ以降は倭健命やまとたけるのみことと呼ばれるようになります。

倭健命はその後、
出雲国に入り、出雲健をも討伐し、
大和に戻り復命します。
景行天皇は、帰ってきた倭健命にすぐに
東方12ヶ国の平定を命じ、またも都から出そうとします。

出発した倭健命は
まず伊勢神宮で参拝をします。
斎宮をつとめていた叔母の倭比売命に
「父は私に死ねというのか」と
悲しみの言葉を述べます。
倭比売命は倭健命に草薙剣くさなぎのつるぎを授けました。

尾張国に入った倭健命は、
美夜受比売みやずひめと結婚の約束をし、
相模国では倭健命をだまそうとした国造を討伐します。
その後、走水海はしりみずのうみでは、
海峡の神が荒ぶって船が進まなかったので、
妻の弟橘比売命おとたちばなひめが倭健命の身代わりとなって入水。
倭健命はさらに東へ進み、荒れ狂う蝦夷えみしどもを平定します。

尾張国に戻ってくると、
約束通り美夜受比売と結婚します。
倭健命は伊吹山いぶきやまの神を討伐するために再び出発。
伊吹山で、倭健命は山の神のふらせた
ひょうにすっかり参ってしまいます。
休憩をして正気を取り戻しますが、
足は思うように動かなくなり、
歩き進めながらもひどく疲れてしまいました。

倭健命は故郷を思う歌を詠んだ後に、
能煩野のぼの(現在の三重県鈴鹿市)で亡くなってしまいます。

后たちや御子たちは、
能煩野に下ってお墓を作って嘆き悲しみ歌を詠みました。
すると倭健命の魂は、大きな白鳥となり空に飛び立ち
飛び去っていきました。
后たち御子たちは泣きながらその白鳥の後を追い、
さらに歌を詠んだのでした。

日本武尊と川上梟帥 月岡芳年画
日本武尊と川上梟帥 月岡芳年画
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

『日本書紀』のヤマトタケル神話

景行天皇は、弟媛おとひめという美人がいると聞き、
妃にするために弟媛の家を訪ねました。
ところが、弟媛は竹林の中に隠れてしまいます。
天皇は、弟媛を引き出して宮中に召しますが
弟媛は結婚を拒否し、姉の八坂入媛やさかのいりひめを妃にするよう勧めます。
天皇は、八坂入媛を妃としました。
次に景行天皇は、兄遠子えとおこ弟遠子おととおこという姉妹が
美人だと聞いて、皇子・大碓命おおうすのみことを遣わして
姉妹の容姿を確認させます。
そのとき大碓命は姉妹と通じてしまいました。
天皇は、大碓命を恨みました。

景行天皇は、各地の従わない賊を討伐します。
熊襲くまそ討伐にも成功しますが
再び背くようになったので、
日本武尊やまとたけるのみことを遣わせて熊襲討伐をさせます。

日本武尊は少女の姿をして酒宴に潜り込み、
討伐を成功させます。
日本童男やまとおぐなと呼ばれていた日本武尊は、
熊曾健から「日本武皇子やまとたけるのみこ」という尊号をもらいます。
日本武尊はその後、吉備や難波で
悪い神を平定し、大和に復命します。
景行天皇は、日本武尊はの手柄を褒め、特別に愛しました。

それから10年以上たち、東国の蝦夷えみしがそむき始めます。
天皇は日本武尊を征夷の将軍に任じ、
その風貌と能力を称え、蝦夷討伐を命じます。

日本武尊は雄々しく振る舞い、出発します。
日本武尊はまず伊勢神宮に立ち寄り参拝し、
倭媛命やまとひめのみことに挨拶をします。
倭媛命は日本武尊に草薙剣くさなぎのつるぎを授けます。

日本武尊は、駿河に入り
だまそうとした賊を討伐します。
さらに相模に入り、上総かみつふさを渡ろうとしたときに
暴風のため船が進まなかったので、
妻の弟橘媛おとたちばなひめが日本武尊の身代わりとなって海に入水。

その後、
日本武尊は陸奥国みちのくのくにの蝦夷の支配地に入り
蝦夷を平定しました。
日本武尊はさらに尾張に戻り、
宮簀媛みやすひめと結婚し長く逗留しました。

日本武尊は伊吹山の神を討伐するために再び出発。
伊吹山で、倭健命は山の神のふらせた
雹に道に迷い、正気を失います。
休憩をして正気を取り戻しますが、
病気になってしまいます。
ようやく起き上がり、尾張に帰りますが、
宮簀媛の家には入らず伊勢に入ります。

能褒野(現在の三重県鈴鹿市)について
日本武尊は病気がひどくなります。
俘虜にした蝦夷を伊勢神宮に献上し、
使いを遣わして天皇に
自分の命が尽きようとしていることを奏上し、
亡くなってしまいます。

父・景行天皇は
日本武尊の薨去を知り深く悲しみます。
天皇は多くの官吏に命じて能褒野にお墓を作らせ葬ります。
日本武尊は白鳥となって、
天高く飛んでいきました。

主な違い

『古事記』のヤマトタケルは
荒々しい性格で天皇から恐れられており
大和の都から追放される悲劇の皇子
として描かれています。

それに対して
『日本書紀』のヤマトタケルは、
天皇の命令に従順に従い
討伐に向かう人物
として描かれており、
天皇からも愛されています。

物語として人の心を打つのは、ヤマトタケルの
心情などが情味たっぷりに描かれている『古事記』。
『日本書紀』はあくまで天皇を中心としており
律令国家の歴史書としてふさわしいといえます。

【記紀】スサノオ神話の違い

スサノオの神話は、『古事記』と『日本書紀』
で大きくストーリーが異なります。

スクロールできます
古事記日本書紀
スサノオが泣いている理由亡き母のいる根の堅州国に行きたい不明
スサノオが任された領域海原記載なし
誓約の条件の提示提示なし提示あり(男の子が生まれたら邪心なし)
誓約の結果スサノオの生んだのが女の子であったから、スサノオの勝ち。天照大神の生んだのが男の子であったから、天照大御神の勝ち。
機織の梭で身体をそこなう人物機織女天照大神

『古事記』のスサノオ神話

速須佐之男命はやすさのおのみことは委任された海原をおさめず
長い間泣いてばかりでした。
青山が枯山になり、海や川も乾いてしまうほどで
悪神の禍が一斉に発生してしまいました。

伊邪那伎大御神いざなきのおおみかみが理由をたずねると、
「亡き母のいる根の堅州国に行きたくて泣いている」
と答えます。
伊邪那伎大御神は怒って
速須佐之男命を追放します。

速須佐之男命は、
天照大御神に事情を話してから
根の国にいこうと、天にのぼっていきました。
事情をきいた天照大御神は、
速須佐之男命に邪心がないことを
証明させたいと考え、誓約うけいをすることになります。

天照大御神が速須佐之男命の
帯びている剣を
噛んで砕いて吐き出した
息の霧から生まれた神の名は、
多紀理毘売命たきりびめのみこと市寸島比売命いちきしまひめのみこと多岐都比売命たきつひめのみことの三柱。

速須佐之男命が天照大御神の
勾玉を噛んで砕いて
吐き出した息の霧から生まれた神の名は、
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
天之菩卑能命あめのほひのみこと天津日子根命あまつひこねのみこと
活津日子根命いくつひこねのみこと熊野久須毘命くまのくすびのみことの五柱。

天照大御神は、
五柱の男の子は、天照大御神の
玉から生まれたので
天照大御神の子であり、
三柱の女の子は速須佐之男命の
剣から生まれたので
速須佐之男命の子である
と区別します。

速須佐之男命は、
自分の生んだのは優しい女の子
だったから、自分は誓約に勝ったとして、
勝ちに乗じて高天原たかまのはらで大暴れをします。
神聖な機屋はたやの中に馬を落とし入れたとき、
機織女はたおりめは驚いて機織りので陰部をつき亡くなります。
天照大御神は速須佐之男命を恐れて
天の岩屋の中に隠れてしまいました。
高天原も葦原中国あしはらのなかつくにも暗闇に包まれ、邪神が満ちました。

八百万やおよろずの神々が天の安河やすのかわの河原に会合して、
思金神おもいかねのかみが善後策を考えます。

賢木に長い玉の緒、八咫鏡やたのかがみをかけ、
白い布帛と青い布帛を垂れかけて
布刀玉命ふとだまのみことが神聖なぬさとして捧げました。
天宇受売命あめのうずめのみことが神がかりをして踊ると、
八百万の神々はどっと一斉に笑いました。

不思議に思った天照大御神が
「私がこもっているから
高天原も葦原中国も暗闇に
包まれているのにどうして笑っているのか」
ときくと、天宇受売命は
「あなた様より貴い神がいるので
喜び笑って歌舞しています」
と答えました。

布刀玉命と天児屋命あめのこやねのみことが八咫鏡を差し出すと
天照大御神が石屋戸から出てきて
鏡を覗き込みました。そのすきに、
天手力男神が大御神の手をとって引き出します。

こうして天照大御神が出ると、
高天原も葦原中国も太陽が戻り、
明るくなりました。

速須佐之男命は高天原から
追放されてしまいました。

『日本略史 素戔嗚尊』月岡芳年画
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) 

『日本書紀』のスサノオ神話

素戔嗚尊すさのおのみことは勇ましく荒々しく
常に泣きわめいていました。
国内の人々が多く若死し、
青山が枯山になりました。

父母の二神は素戔嗚尊に
「お前はたいへん無道であるから、
遠い根の国に行きなさい」
と命じて追放します。

素戔嗚尊は、
姉の天照大神に挨拶をしてから
根の国にいこうと、天にのぼっていきました。
事情をきいた天照大神は、素戔嗚尊に
邪心がないことを証明させたいと考え、
誓約うけいをすることになります。

素戔嗚尊は
自分が生んだのが女だったら邪心がある
男だったら、清い心であるとしてほしいと訴えます。

天照大神が
素戔嗚尊の帯びている剣を
噛んで砕いて吐き出した息の霧から
生まれた神の名は、
田心姫たこりひめ湍津姫命たぎつひめ市杵嶋姫いつきしまひめの三柱。

素戔嗚尊が
天照大神の勾玉を噛んで砕いて
吐き出した息の霧から
生まれた神の名は、
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと
天穂日命あめのほひのみこと天津彦根命あまつひこねのみこと
活津彦根命いくつひこねのみこと熊野櫲樟日命くまののくすびのみことの五柱。

天照大神は、
五柱の男の子は、
天照大神の玉から生まれたので
天照大神の子であるとし、
引き取って養います。

三柱の女の子は
素戔嗚尊の剣から生まれたので
素戔嗚尊の子である
とされ、素戔嗚尊に授けました。

誓約に負けた素戔嗚尊はこの後、
高天原で大暴れをします。
天照大神は機殿はたどのになげこまれた馬に驚いて
機織はたおりで身体をそこない、
怒って天の岩屋の中に隠れてしまいました。
国中が暗闇に包まれ、夜と昼の区別がつかなくなります。

八百万の神たちが天の安河やすかわ
河原に会合して、
思兼命おもいかねのみことが善後策を考えます。

賢木に長い玉の緒、八咫鏡やたのかがみをかけ、
白い布帛と青い布帛を垂れかけて
太玉命ふとだまのみことが神聖な幣として捧げて皆で祈祷をします。

天鈿女命あめのうずめのみことが神がかりをして踊ると、
なぜ天鈿女命がこんなに喜び笑っているのかと
不思議に思った天照大神が磐戸を少し開けて
外を覗くときます。そのすきに、
手力雄神たちからおのかみが神の手をとって引き出します。

素戔嗚尊は高天原から追放されてしまいました。

主な違い

スサノオとアマテラスが誓約を
交わす部分では大きな違いが見られます。

『日本書紀』では
男の子を生んだアマテラスが
誓約に勝ったとされていますが、


『古事記』では
女の子を生んだスサノオが
誓約に勝ったことになっています。


学生
男の子を生んだ方が勝ち、女の子を生んだ方が勝ち。本来の伝承はどっちだったのだろう?


『古事記』でも、
天忍穂耳尊の神名に
正哉吾勝勝速日」が添えられているから
もともとは
「男の子を生んだほうが勝ち」
という伝承だったと推測されます。

『古事記』の伝承は、
持統天皇や元明天皇(女帝)の時代に
編纂されたために
このように改変されたのでないか?
という説が唱えられています。

もしくは『古事記』を誦習したといわれている
稗田阿礼ひえだのあれが女性であったから、
このように改変されたと見ることもできます。


この記事では、
『古事記』『日本書紀』の違いを
詳しく解説しました。

この他にも、
調べてみると記紀には多くの違いがあります。
ぜひ読み比べてみてくださいね😊

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