
この記事では、日本神話に見られる
「黄泉の国」が具体的にどこにあるものなのかを
わかりやすく解説していきます。
黄泉の国の場所
黄泉比良坂の場所
黄泉の国と三途の川の関係
黄泉の国はどんなところだったか
この記事を読むことで、
黄泉の国がどこにあったか
バッチリわかるようになります!



黄泉の国はどこにある?
黄泉の国がどこにあったのかを
解説していきます!
イザナキの黄泉の国訪問のストーリーは、
こちらの記事で簡単に紹介しています。


このストーリーを踏まえた上で
以下の解説を展開していきます。
古墳 = 黄泉の国 説
考古学の分野では、
イザナキの黄泉の国訪問で語られる
黄泉の国を横穴式石室と見る考えが定着しています。
古代人は、
石室の追葬時に玄室の暗い空間に
灯した明かりのなかで、
先に納められていた死体が
腐乱している様子を見たことでしょう。
死の穢れを振り払いながら、
明るい現世を目指して羨道を急ぎ、
やがて石室の入り口を石で塞いだのです。
そのような古代人の葬送に関する
一連の体験が神話化したと言われています。
この考えに基づいて言うと、
黄泉の国とは神話が語られた当時(古墳時代)
の横穴式石室の中であるということになります。



殯の喪屋 = 黄泉の国 説
黄泉の国は殯の場であるという説もあります。
『日本書紀』の一書では、
イザナミに会うためにイザナキが訪れた場のことを
「殯の処」だと明言しているからです。
『日本書紀』の二神は殯の場で、
生きている時と同じように語り合っています。
『古事記』でも二神は黄泉の国の御殿の
戸口で話をしていますよね。
殯の期間は霊魂のよみがえりを思念し、
死者との交流が可能だと考えられていた
ことをうかがわせます。
黄泉の国=殯の場
という見方もある。
『日本書紀』では天皇の殯宮は
崩御のあった宮の近くに作られており
埋葬地である古墳の周辺には作られていません。
一般の人の死であっても、
喪屋は住まいの近くに作られたことでしょう。
したがって、イザナミがイザナキを迎え、
会話を交わしたのは古墳ではなく
殯の場に建てられた喪屋の戸口だったと考えられます。



死への過渡期 = 黄泉の国 説
これまで、「横穴式石室=黄泉の国」
「殯の場=黄泉の国」という説を
紹介してきましたが、
黄泉の国は具体的な場所を指すものではない
という見解もあります。



『日本書紀』の一書は、黄泉比良坂について
「別に処所有らじ、但死るに臨みて気絶ゆる際、是を謂ふか」
『日本書紀』一書(第六)より
(どこか特定の場所があるわけではない、人の臨終のことをいうか)
と記しています。
『日本書紀』は、さらに
黄泉比良坂を塞いだ千引きの石についても
実際の大きな岩を指すのではなく
現世と黄泉の国との間を区切る
境の神(塞の神)を言うと語っています。
黄泉の国とは、
消滅しつつある肉体から魂が抜け出て
やがて異界の存在となり、完全な死を迎えるまでの
過渡期を表した言葉なのでしょう。
国文学者・西郷信綱氏は、
黄泉の国とは『唯死人の往て住国』ではなく、
西郷信綱『古代人と死』平凡社 1999年
神話化された一つの通過儀礼の表象にほかならない
との見解を示しています。
熊野 or 出雲 に黄泉の国がある?
『日本書紀』には、
イザナミを紀伊国の熊野の有馬村に葬ったと
記載されていることから、この土地を黄泉の国と
関連付けて見るケースもあります。
現在の有馬町の花の窟がイザナミの墓所であると
されています。
また『古事記』では黄泉比良坂が
出雲(島根県)にあったと語られています。
さらに、その近くに「夜見の島」があったことから、
黄泉の国も出雲にあるという見方があります。
さらに
島根県の日本海に面した入江に臨んで、
猪目という小さな集落があります。
そこの入江の岸壁にある猪目洞穴は、
『出雲国風土記』にも記載されており、
夢のなかでこの洞穴のほとりに立った者は必ず死ぬ。
そこで世の人々は、昔からこの洞穴を
黄泉の坂・黄泉の穴と呼んでいる。
と語られています。
猪目に住んでいた古代の日本人は、
海辺の深い洞穴の奥に
黄泉の世界があると信じていたようです。
黄泉の国の入り口・黄泉比良坂はどこにある?
黄泉比良坂とは、現世と黄泉の国の境目にある
坂と考えられています。



黄泉比良坂の所在地について詳しく解説していきます。
黄泉比良坂は揖屋神社の近くにある
『古事記』には
「黄泉比良坂は、今出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」
と記されています。
『出雲国風土記』の意宇郡条には
「伊布夜社」という社名をもつ神社が見えます。
おそらくその神社の近くに伊賦夜坂が存在して、
黄泉比良坂であるとされていたのでしょう。
伊布夜社とは、
島根県松江市東出雲町にある揖屋神社のことです。
黄泉比良坂 = 伊賦夜坂
伊賦夜坂は伊布夜社の近くにある。
伊布夜社 = 揖屋神社
黄泉比良坂と伝えられている場所が、
現在の揖屋神社の近くにあり、
観光スポットとなっています。
揖屋の町は、北に大きな干拓地が広がりますが
かつては中海に面していました。
中海の向こうには、中海を外海から仕切る
夜見ヶ浜(弓ヶ浜)があります。
※弓ヶ浜駅がある場所
夜見ヶ浜は『出雲国風土記』には
「夜見の島」とあります。
奈良時代にはまだ本州と地続きでは
なかったのでしょう。



「夜見が島」の「夜見」は
「黄泉」のことであり、
揖屋は中海のかなたになる
黄泉の島への旅立ちの地(黄泉比良坂)
と見られていたのでしょう。
黄泉の国と三途の川の位置関係は?






「黄泉の国」とは『古事記』や『万葉集』に
見られる言葉で、「死んだ人が行く世界」という
意味合いで用いられています。
日本古来の民俗信仰です。
「三途の川」はこの世とあの世の境目に
あるとされる川のことです。
『地蔵十王経』という仏教の経典が由来と
いわれており、日本では平安時代に広く浸透しました。



黄泉の国と三途の川。
どちらも死者が行く場所という共通点があり、
川を渡った先に黄泉の国があるというイメージがあります。
しかし、黄泉の国は日本特有の概念であり、
遅くとも古墳時代には語られていたものと思われます。
三途の川は中国から、経典とともに伝来した概念で
平安時代に日本に広まったものです。






黄泉の国は日本古来の民俗信仰で
死後の世界を表すもの。
三途の川は仏教の経典とともに
日本に伝来したもので、
あの世とこの世の境目にあると言われる川のこと
なので、共存しているものではありません。
ただし、
『日本書紀』にはイザナキが
黄泉の国から逃げて
「泉津平坂」についたときに、
大樹に向かって放尿をし、
それが大きな川になったと書かれています。
この川を「三途の川」ととらえると、
三途の川は黄泉比良坂の大樹のそばに
流れている川のことととらえられます。
黄泉の国とはどんなところなのか



『古事記』や『日本書紀』に
黄泉の国の様子はあまり詳しく書かれていませんが、
書かれている範囲内で紹介しますね。
①御殿がある
黄泉の国には御殿があって、
その戸口からイザナミが出てきてイザナキと対面しています。
どのような御殿なのか
具体的には記載がありません。
②黄泉国の神およびヨモツシコメがいる
その御殿の中でイザナミの肉体は腐乱していました。
御殿の中には黄泉国の神もいると語られています。
そして「よもつしこめ」(黄泉の国の醜女)という
穢れの恐ろしさを擬人化した者もいます。
その他にも1500人もの大勢の軍勢がいたとのことです。
『日本書紀』によると「よもつしこめ」は
「泉津日狭女」と呼ばれており8人いました。
③よもつひらさかには大樹と川がある
『日本書紀』によると
黄泉の国から逃げて行くと「泉津平坂」があり、
そこには大樹がたっていて、
イザナキが放尿して大きな川になったと書かれています。
この記事では、日本神話に見られる黄泉の国
がどこにあるのか、どんなところなのかを
解説しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
黄泉の国の食べ物については、
こちらの記事で解説しています。

